N.Y[5] 商人魂

飛行機がニューヨークに向かったのは夜の事だった。関西国際空港からデトロイトまで約12時間、国内線の便が遅れ空港内で約3時間半、デトロイトからニューヨークに向かう頃には、眠気と煙草不足でぐったりとしている私になっていた。飛行機の中でぼんやり窓の外を見る。ただ真っ暗で何もない風景がそこにある。「なんだかもう、どうでもいいや」、そう思った時、見えた。
生き物のように光り消え光るオレンジ色、それはまるで考えを持って動いているかのような、そんな光だった。
「マンハッタンだ。」
本物は初めて見た。でもすぐに分かった。もこもこと建ち並ぶビルに立体の光、真っ暗な真っ黒な中に私の見たかったビル達がいる。何故かそれらが私を待っていたんだという気にさせた。お互いに会いたがっていたような、そんな錯覚だ。

ニューヨークは優しい街だと思った。
飛行機の中で私は「早くあの中に入りたい」と願っていた。そしてそれはすぐに叶えられた。様々な人種が混ざり合うニューヨークは、私を「観光客」として疎外する事がなかったのだ。ニューヨークを歩けばいつでも「そこの人」だと判断される。道を聞かれ、やり方を尋ねられ、滞在日数を無視した質問は日常茶飯事で繰り広げられる。それ故に厳しい事も多いが、素晴らしい待遇である事には違いなかった。


1人旅だった私は気が向いた時に気が向いた所へ行き、気ままに休憩と活動を繰り返す毎日を送っていた。その日も変わりなく同じ事をしていた。トライベッカからソーホーをウロチョロし、疲れるとその辺で座り込んで煙草を吸った。ぼんやり「次はどこに行こう」などと考えていると、1人のおじさんが私に向かって近づいてくる。そのままおじさんは私の前に布を敷き、「そこで休憩していて良いよ。」と言いながらガラクタのような商売道具を並べていった。見るとまさにガラクタだった。
ひとしきり並べ終えると彼は私の横に座り、何かがなまった英語で話しかけてくる。私が日本から遊びに来た事、ニューヨークが好きな事、大阪もここに負けず素敵な街だという事を話すと、同じように自分がどこに住んでいて何をしているかを話してくれた。
ダラダラとした楽しい時間だった。
通りがかりの人々が熱心に商品を見ている。私はその様子を見ながら「このままボーっとしておくのも良いな」と考え始めていた。不意に客が私を覗き込み、商品を指さしながら何かを言った。「すみません、これなんぼ?」ってな具合だろう。それを見た周りの人たちも代わる代わる私に代金を聞いてくる。

「何故、私なんだ?」
フォローに回るのは当然店員であるおじさんだ。しかし私への「代金尋ね攻撃」は鳴りやまない。仕舞いには私の持ち物にまで値段を付けさせる始末である。1 番人気は「和英・英和電子辞書」だ。日本語など必要ないはずだが、パームと間違えているのだろう、「売って欲しい」はいつまでも続く。「これは違うから。これはこの子の持ち物だから。」フォローに回るおじさんも大変である。私の優雅な時間はあっさりと終わり、再び放浪の旅に出る羽目となった。


ニューヨーク、誰もが馴染める素敵な街である。

(Mar/26/2002)