日本記録保持者

私は世界は無理としても日本の記録を生み出せる実力を持った体操選手だった過去がある。しかし私が技を披露したのは1度きりの事であり、これからも披露する事はない。そして、披露する機会を2度と与えて欲しくないと思っているのだ。

私が最初で最後の演技をしたのは卒業式の夜である。
なんとなく別れを惜しんで、100人を超える同級生達がそこに集まった。私自身も今後、偶然以外に会う事はないと感じていたので、なんとなく別れを惜しむ人たちの仲間入りをする事にした。ただダラダラと同じ事を話し、同じような約束をし、残された時間を共有する。それだけではあるが、誰もこの行為に異論を唱える者はいなかった。
みんなも気付いているのである。もう本当に最後だと。

だから特別に技を披露したというわけではない。
お祭り騒ぎに付き合いはするが、率先するつもりは全くない。私はおとなしく今まで仲良くしてくれた友達と話がしたいだけなのだ。

その時は2人の友達と喋っていた。
1人は1度も同じクラスにはならなかったが、1年の頃から遊んでいる友達。もう1人は3年になってから仲良くなったのだが、良く気の合う友達。
3人でただただ喋っていた。3人でただただ喋っていただけなのだ。



そんななんて事もない状況が一気に変わった。
1台の乗用車が私達3人をめがけて突っ込んできたのである。



私はそのまま飛んでいった。
日本新記録の回転ジャンプが誕生した瞬間だ。
クルクル回っているような空気の摩擦を感じながら、私は「あ、気持ち良いな。」と思った。自分が飛んでいる事を落ち着いて理解できたのである。もちろん、今、車にひかれたという事も。そして、周りには100人以上の同級生がいる事も。

飛距離については色々な説があった。3mと言う人もいれば、5mと言う人もいる。しかし、私にとってそんな記録はどうでも良かった。ただ、猫のように着地してしまった事、着地後のポーズをとれなかった事に激しく後悔した。



赤いランプの付いている白い大型車が送迎にやってきた。
私の演技を誉め称えるように立派なサイレンを鳴らしてやってきたのだ。いよいよ同級生との別れである。私は見送る彼らに挨拶もせず車に乗り込んだ。



それから出会った同級生は数人である。
当然の事ながら、私の死亡説は流れていた(笑)。
友達はあの夜、心に誓ったらしい。
「これからの人生、ナギラの分まで頑張る。」と。

(Mar/13/2002)